
レベル3 ★★★★
モルガンスタンレー、ソロモンブラザーズ、シティ、ムーア・キャピタルなど、金融の最前線で、主にリスク管理を担当していた筆者が書いた「市場の危機の根源」に関する大作です。
一般の人が金融情報を取得するのが難しかった70年代半ばの投資銀行では、M&Aアドバイザリーや社債の販売など、人脈や情報力で利益を上げていました。80年代に入ると、筆者のような経済、数学、物理学などの博士号を取得した優秀な人が、ウォール街にやってきて、手腕を発揮し始めます。著者はちょうどその頃に学会からクオンツ部門に就職をしました。
著者が携わっていたポートフォリオインシュランス部門は、資産をS&P500の先物などで自動的にヘッジをし、値下がりリスクを抑える手法を販売していました。このポートフォリオインシュランスは、リスクを計算するという当時画期的な手法であり、瞬く間に機関投資家に普及しました。その後に起きたブラックマンデーの下落で、自動売りプログラムが発動し、売りが売りを呼んで大きな下落につながります。
90年代前半までは、コンピューターの性能の向上によるクオンツ分野の活躍や、米国の株式/不動産の好調もあり、投資銀行の収益は拡大していきました。ソロモンが得意としたのは、モーゲージ債の金利スワップや先物を使ったアビトラージ戦略です。ロングタームキャピタルマネジメントは、様々な国の金利の高い債券に対して、相関モデルを使ったヘッジを行い、レバレッジをかけて世界中で取引を拡大し、大きな収益を上げます。
90年代後半にかけて、アジア危機などが起きて、世界中でリスク許容度が低下し、ソロモンやロングタームキャピタルマネジメントの崩壊へとつながります。その予兆は数か月前から出ていたのにもかかわらず、モデルが複雑すぎて、その原因を見つけるのに時間がかかってしまい損失額が大きくなりました。
2000年代は、ヘッジファンドの全盛期が訪れますが、著者もコンピューターモデルを駆使したヘッジファンドに移籍します。これまでの投資銀行は、株式/債券など決められた取引しかできませんでした。一方、ヘッジファンドはあらゆる投資商品や戦略など多岐に渡った複雑なモデルで運用をし始めます。モメンタムにかけるといったギャンブル思考が強い自己勘定部門の手法に比べ、ヘッジファンドでは、洗礼されたコンピューター分析を元にした短期的なサヤどり売買がさかんになされます。さらに、ロングショートやマクロ取引など新しい手法が開発されました。
このように複雑化した金融業界のリスク管理の方法として、スリーマイル島の事故を例に挙げて説明しています。スリーマイル島の原子力事故では、おびただしい数の制御弁が多数の動作表示ランプで監視されていました。事故の発端は動作表示ランプがたった一つ故障したことで発生しました。この事故に、通常なら問題にならないような点検時の人為的なエラーが重なり、かつ750個に近い数の警報ランプから、問題を見つけ出すことに時間がかかり、大事故につながりました。
一つ一つのミスは、大きな事故につながるようなミスではなくても、ノーマルミスが積み重なると、大きな事故が起こる確率が高まります。その対処法として、あまり複雑ではないリスク管理が最善の方法だと解説しています。
金融機関での大きな損失は、日常のノーマルアクシデントの積み重なりで起きており、往々にして組織のミスがその損失を大きくしていると指摘しています。ノーマルアクシデントが起きた場合は、統制が整えられた組織内でそのミスを共有し、再発を防ぐことが大切です。ノーマルアクシデントが再発するような職場では、再発を防ぐために、よりシステムを複雑にしていくとそれはいつか予想外の出来事が起こる可能性が高まってしまうので逆効果です。
各時代の最先端の投資戦略とリスク管理の難しさについて学ぶことができ勉強になりました。また、自分達がファンドを立ち上げた際には、投資モデルを考えると同時に、日頃からシンプルなリスク管理を組織内で徹底して行いたいと思います。